2005年08月27日

学力と入試

小6の息子が来年の受験に向けて、この夏休みは猛勉強中?である。社会や理科の問題を見ていると地理や歴史など、暗記することが異常に多い。
まあこれは、どんな試験でも、選抜するという意味では、仕方のないことかもしれない。

ただ、この知識を覚えることにどの程度の意味があるのか?ということが大人としては、はなはだ疑問である。

俗に言う、「読み書きそろばん」ということでは、漢字を読めること、書けること、そして計算することが出来れば、基礎教育は終わりでよいと思う。

理科や社会などの、基礎知識をつけて、その分野に興味をもち、高校や大学で専門的に学ぶということはとても大切だとは思うが。

今の、詰め込み式で覚えることは本当にどうなんだろうと疑問に思う。
少なくても楽しく「学ぶ」ということはありえないので。

国立の大学が頂点である、日本の教育制度と、私立大学の(しかも一度社会経験をしてから)大学院で学ぶことでビジネス社会で通用する人材を輩出するアメリカやイギリスなどとの教育に関する受け皿の違いが、このような「入試」の制度を作り上げてしまっていると改めて思う。

我々もそうだったが、一番勉強しなかったのが、大学時代というのでは、目的がはき違いえているし、もったいないことだと思う。

中学や高校時代は人格形成に本当に重要な時期なので、本来であれば、欧米の全寮制の一貫教育のように、「興味のあることを見つけさせる」「社会のルールを教える」「リーダーシップを学ばせる」などが一番必要だと思うんだよね。

教育問題と大きく捉えれば難しい問題でもあるが、自分の回りからでも、取り組んでいく問題ではないかと、強く思うのである。
posted by まる at 23:50| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
同感です。故・土光敏夫さんが『いまの教育は「いい学校」をでて「えらくなる」ための競争で、それを学校があおっている。しかし、ボクにいわせれば、それは間違っている。大事なことは「いい人間」をつくることなんだ』と、1984年の「日本への直言」で書いていますが、20年経って事態はもっと深刻になっている感じです。

歴史年表を丸暗記してそらんじるよりも、路傍の花の名前を言えるとか、人の家に上がるときは挨拶を言って脱いだ靴を揃えるとか、テレビの向こう側は嘘の世界であることを理解するとか、そっちのほうがよほど大切じゃないでしょうか。

うちは小2で、あと数年すると中学だ、高校だ、という年齢になりますが、それまでに社会が変わっていることは期待することは難しく、親が何らかの行動するにしても頭の痛いところです。
Posted by at 2005年08月29日 01:53
関さん、コメントありがとうございます。
きちんと挨拶できる人間、人のことを思いやれる気持ちを持った人間、そういうことを教えていかなければ。

決して人任せではなく、できることから始めないと。家庭でも地域でもそうして行きたいですね。
Posted by まる at 2005年09月01日 11:32
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。